第四章-奔出
フロイスに届いた手紙
天正七年五月。ルイス・フロイスは豊後にいた。膨大な日本記録をしたため、後世に名を遺したこの宣教師はこの数年前、京都での伝道役をオルサンティに譲り、豊後での活動に力を注いでいた。そのフロイス宛に、急ぎ長崎に戻るようにとの伝令が届いたのだ。
長崎からの伝令によれば、イエズス会員が新たにマカオから着任するから、必ず会って手紙を受け取れとのことである。急な要請に、フロイスは戸惑いを覚えながら長崎に戻った。
その男が長崎に到着したのは、六月十九日のことだった。マカオ-長崎間の定期商船に同乗して到着した小男は、挨拶もそこそこに、フロイスに一通の書状を差し出す。
「フロイス師。新たに長崎に赴任する、トマス・コスタであります。マカオの聖務裁判所より書状を預かって参りました。速やかに内容を検められたい」。
初対面にも関わらず、ずいぶん事務的で、かつ横柄な態度の男である。その目は白目がほとんどなく、岸壁に穿たれた底なし洞窟のように、丸くて黒々としている。男は、その洞窟の暗闇の奥底から、フロイスのことをじっと観察しているようだ。しかしフロイスは、そのようなコスタの態度と異様さより、聖務裁判所という言葉に体を硬直させる。
それはいわば、異端審問所の出張所の様な組織である。マカオには異端審問所はまだ開設されていない。しかし、ポルトガルの版図が世界に広がるに連れ、異端審問のネットワークもまた、世界に広がりつつあった。聖務裁判所は、拡大するポルトガル支配圏の最前線に張られた、異端探索のためのアンテナである。
そこからの手紙が良い知らせだと思う者は、イエズス会には誰もいない。未開の地に赴き、命を賭して伝道に励む者。背教の徒を監視し、拿捕し、審判の前へと引きずり出す者。同じ神に仕える身だが、向いている方向は相いれない。しかし、絶対に対立してはならない相手。この手紙の主は、フロイスにとってまさに、そういう者たちだ。
フロイスは、努めて平静にその書状を受け取り、立ったまま目を通す。差出人はフェリペ・ゴメス。ゴアの異端審問所から派遣された、あの聖務裁判所長である。
マカオにて、千五百七十七年 五月
尊敬すべきイエズス会士 ルイス・フロイス師殿
神の恩寵と平安が常に貴殿の上に豊かにありますよう。
主の御名において、イエズス会司祭ルイス・フロイス貴下にご挨拶申し上げる。当職は、現在ゴア異端審問所の任命により当地マカオにて聖務裁判所の代理人を務めるものである。
さて、このたびポルトガル・ヴィゼウ出身のラケルと名乗る女が、少数の者を率いてマラッカから逃亡し、当地マカオを経由して、現在日本国に潜伏している可能性があるとの報がある。
この女は洗礼を受けた新キリスト教徒でありながら、なお密かにユダヤの信仰に固執し続けている確かな証があり、異端の嫌疑大なる人物である。このような者が、異教徒の地に潜伏し続けることは、邪教に惑わされ、偶像崇拝に溺れる日本の民を、イエズスの福音へと導かんとする貴殿らの聖なる行いの大いなる妨げとなること、強く懸念するものである。
貴殿らの日本伝道において、このラケルの所在、もしくは動静につき何らかの情報を得られたならば、直ちにマカオの聖務裁判所まで報告するよう要請する次第である。貴殿のご尽力により聖なる信仰の秩序が守られ、かの女、ならびに日本人の迷える魂が主の救いへ導かれること、心より祈り申し上げる次第。
結びに、貴殿の上に我らの主イエズス・キリストの恩寵と平安が豊かにありますようお祈り申し上げる。
マカオ司教・聖務裁判所長 フェリペ・ゴメス
ルイス・フロイスは、書状を読み終えると眉をひそめ、はっきりと顔を曇らせる。その様子を、洞窟の底から注意深く観察していたコスタが、フロイスを正面から見据えて問いかける。
「フロイス師殿。いかがかな? このラケルなる女の消息。なにかお耳に入っておられるか?」。
フロイスは即座に首を振り否定する。
「聞いていない。そのような女がもし既に日本に入っているならば、かなり目立つだろう。今日本で異国人が活動できる土地は限られている。そこには宣教師もいる。このような女の情報があれば、既に我らの知るところとなっておるはずだ。その女が日本に入ったというのは確かなのか。台湾、あるいはメヒコに逃げた可能性もある。逃亡先がこの日本とは限らないのではないか」。
「いかにも。ゴメス様はそうした可能性も考慮に入れ、各方面に同様の書簡を送っておられる。フロイス師に置かれては、まずはこのこと、日本のイエズス会に速やかに周知されたい」。
あなたもイエズス会士であろう。そして、この日本に伝道に来たのではないのか。フロイスは心の内でそう呟くが、口にはしない。この男には、最大級の警戒をせよと本能が囁いている。来月には、ヴァリヤーノ大祭司も日本に着任される。異端審問所との関係には、細心の注意を払わなくてはならない。フロイスは心の中でそう言い聞かせる。願わくば、このラケルというコンベルソが、どこか違う国へ逃亡していることを祈ろう。
「コスタ師。相分かりました。私はただちにこの内容を長崎のイエズス会に周知します。それからできる限り早く、京をはじめ各地で布教を務める同士にも、周知の便りをお送りしましょう。全ての手筈を整えましたら、私はまた豊後に戻り伝道を続けます」。
ロレンソ了斎
フロイスが長崎でコスタと会い、ラケル探索命令の手紙を受け取った頃、ロレンソ了斎は京都にいた。ロレンソ了斎もまた、戦国期のキリスト教伝道において、重要な役割を果たした。ルイス・フロイスとロレンソ了斎。この二人は深い信頼で結ばれている。フロイスが日本に赴任した時、了斎は既に、日本のキリスト教伝道において重要な役割を担っていた。了斎は、生まれついた時からほとんど盲目だった。しかしこの男は、視力に代わる飛び抜けた知性と耳を、天から授かっていた。
了斎は幼い時から、一度聞いた話は全て、諳んじることができた。そして、古今東西の物語、浪曲、小噺を数限りなく頭の中に納め、人々の求めに応じて自在に引き出すことができた。了斎はその才を活かし、その青年期を琵琶法師として生きた。人々は、彼が琵琶の音色と共に語る平家物語に耳を傾けた。そして、見たことのない壇ノ浦海戦に心踊らせ、その栄枯盛衰に世の儚さを知った。
了斎は、日本におけるキリスト教伝道の祖、フランシスコ・ザビエルの直接の薫陶を受けた点においても、特別な存在だった。フロイスが日本伝道に力を尽くしたこの頃、ザビエルが中国で殉死してから既に三十年余りが経っていた。そのザビエルから直接洗礼を受けた了斎は、日本に赴任したイエズス会士らにとって、他の者にない神性を帯びていたといえる。
まして、フロイスに至ってはなおさらである。フロイスが日本での伝道を志したのは、生前のザビエルとインドのゴアで会い、日本のことを聞かされたことがきっかけとなっている。フロイスは、亡きザビエルを追って日本での伝道に生涯をかけた。その彼にとって、ザビエルと同時代を生きてきた了斎の存在は、特別だったといえよう。
そして、そのフロイスに日本語を教えたのもまた、了斎である。日本語の習得において、フロイスは了斎の最も優れた生徒だった。その卓越した言語能力は、他の宣教師が少なからず挫折した日本語の習得において、特筆すべき成果を残した。フロイスがその日本語を駆使して得た経験をもとに膨大な見聞録をしたためた。それは、稀有な歴史書として後世まで残され、異国人から見た戦国の日本を今に伝える。
そのフロイスからのラケル探索要請書が、京の南蛮寺にいた了斎とオルサンティの元に届いたのは、天正七年七月のことである。しかし、その手紙はしばらく南蛮寺の執務室の机上に投げ出されたまま放置され、すぐに開かれることはなかった。了斎とオルサンティは、それどころではなかったのである。
この時、日本におけるイエズス会の伝道を頓挫させ、その後の歴史を左右しかねない事態が、闇の中で進行しつつあった。日本におけるキリスト教伝道の最大の庇護者であった男の命が、突然その煌めきを失いつつあったのである。その男とはだれか。天下布武を掲げ日本統一を目指していた織田信長、その人である。
この数年前。信長は長年の宿敵、甲斐の武田を長篠の戦で破り、その名を天下に轟かせていた。信長は、イエズス会の南蛮寺開設を許し、その布教活動を全面的に庇護していた。その信長の命運は、そのまま日本イエズス会の行く末に直結していた。もし信長が斃れれば、日本での伝道の道が閉ざされかねない。それどころか、イエズス会に恨み積年の仏門衆は、武将たちをそそのかして南蛮寺を襲撃させるかも知れない。とりわけオルサンティは激しく混乱していた。