明智十兵衛光秀
南蛮寺の了斎とオルサンティに、信長の病変が極秘の内に知らされたのは、フロイスの手紙が届く三日前のことだった。天下人にならんとしていた男の危篤という超機密事項。それを異国人に伝えろと命じたのは、他ならぬ信長本人だった。そして、その伝達役を担ったのは、惟任日向守、明智十兵衛光秀である。
光秀は若い頃、医術を学んだ経験があった。そこで光秀は、侍従医を助け、信長の治療に対処していた。その光秀が突然南蛮寺を訪ねてきたのは、初夏の夜の事だった。
「了斎殿、オルサンティ殿。我は、ここ南蛮寺に信長公の命を受けて参った。これからお伝えすることは何人に話すこともならん。家臣でも、これを知るのは私を含め数名じゃ。そして、信長公に忠義尽くしたる我々日本人から、このことが漏れることはない。従って、万が一これを他の者が知ることとなった時、その噂元は全て貴君らと断じ、問答無用で即打ち首となる。よいな」。
了斎とオルサンティは、光秀の鬼気迫る形相に、異を唱える余地がないことを悟る。できればそんな機密など聞きたくない。しかし、今や信長の右腕とさえ言われる光秀自らが足を運んできた。二人のキリシタンは、ただ平伏して耳を傾けるのみである。
「信長公が原因不明の病に見舞われておる。はやひと月だ。最初は夏の暑さの中での鷹狩りや、築城視察の疲れが出ただけだとおっしゃられていた。しかし、その衰弱、日に日に深刻となり、今は食事もろくに喉を通らん」。
光秀はそこまで語ると、一度沈黙する。日本語が得意ではないオルサンティのために、了斎がポルトガル語で伝えるのを待つ。了斎の言葉を聞いたオルサンティの顔が、みるみる青ざめる。
「信長様がそのようなご状況とは。なんということでありましょう。しかし、信長様であれば、きっと病に打ち勝ち、やがてこの国を広く治められますこと、疑いございません。神デウスに、信長公のお命救い賜るよう全力でお祈り致しましょう」。
それを聞いた光秀は、わずかに口元の緩め嘲笑の表情を示す。
「祈り?オルサンティ殿はまだ京にきて日も浅い。あのお方のことをよく知らんようだ。祈りなどはお館様が最も忌み嫌うものである。そなたの愚言を信長様がお聞きした時、殿の腹の虫の居所が悪ければ、その首すぐさま飛びますぞ。用心なされ」。
怒気と冷笑を含んだ光秀のその言葉を聞き、了斎とオルサンティはただ、沈黙を守る。光秀は、その様子を一瞥して、言葉を続ける。
「我は、多少の医術の心得がある。若かりし頃少しかじったからな。そこで、侍従医を助け信長様の治癒に当たったが、状況は悪くなるばかりだ。原因が分からん。我々の医術では埒が明かんのだ。そこでだ。そなたらに南蛮医を手配頂きたい。二十日以内にだ」。
「二十日・・・」。
それを聞いた二人の表情に、絶望の色が浮かぶ。見えない目を虚空に投げ出しながら、了斎が震える声を絞り出す。
「二十日は難しゅうございます。光秀様。十年ほど前、九州の豊後にて、ルイス・アルメイダ師が南蛮医院を開いておりました。彼はポルトガルで医療教育を受けた医師でございました。しかし、もう何年も前に医院を閉じております。今、日本に南蛮医はおりません。マカオから呼ぶなら、最低でも数か月はかかります」。
「そのような話を聞きに来たのではない!二十日だ!無理ならばその命、亡きものと思え。どのみち信長公の庇護なくば、おぬしらの運命は風前の灯も同様。そのアルメイダを連れてくるのじゃ!腕はなまっておっても、南蛮医じゃろう」。
了斎は、その怒気に激しく狼狽しながらも、なお必死で言葉を繋ぐ。
「無礼をお許しください。しかしながら、光秀様も医術のお心得あるとのこと。ご理解いただけるかと存じます。医者は、薬あって初めて医者でございます。刀傷、鉄砲で開いた穴、骨折などであれば薬以外の処置も多少はございましょう。しかし、お聞きしているお館様のご症状、臓腑の病い、あるいは気の病と存じます。アルメイダ師の手元に、満足な南蛮薬は今、ないでしょう。南蛮薬のない南蛮医は、何のお役にも立てませぬ」。
「そうか。明瞭なる講釈かたじけない。だが、ならばもう、そなたらに用はない。ここで座して死を待て。せいぜいデウスとやらに命乞いするのだな。但し、お館様にもし万が一のことあれば、貴様らの生殺与奪を握るのはデウスごとき邪教の神ではない。この十兵衛であること、肝に銘じておけ!」。
光秀はそう言い放って座を立とうとする。すかさずオルサンティがその袖にすがりつき、必死で引き留める。
「お、お待ちください!承知致しました光秀様。なんとかアルメイダ師をお連れします。アルメイダ師は今、豊後にて宣教の任に当たっております。豊後には、フロイス師もおります。フロイス師と連絡し、何とか二十日以内にアルメイダ師を連れて参ります」。
光秀はその言葉に歩みを止め、冷たい微笑を浮かべる。
「フロイスか。それは良い。あの男は何かと機転が利く。日本語も堪能だ。アルメイダとやらの探索にも役立つであろう。見つけたらフロイスも一緒に上洛させよ。お館様も喜ぶだろう。但し、信長様のご病状、当然フロイスにも伝えることはならん。この十兵衛が危篤だと言え。この情報は緩く扱って構わん。ついでに、どこぞに潜む狸を炙り出せるやも知れんからな。良いな。明智十兵衛、危篤なり。そこで、家臣思いの信長様が、急ぎ南蛮医を探して居る。この理屈で南蛮医を連れてこい」。
そう言葉を投げ捨てると、光秀は風のように南蛮寺を去っていった。光秀の全てのふるまいは、この男のキリシタンへのあからさまな不信を語っている。さりとて、この男が命を差し出して恭順を示すのは仏門でもない。この男が自らを統治させることを認めたのは今のところ、主君、織田信長ただ一人である。その命令とあれば、右の手で比叡山に火を放って仏徒を焼き殺し、左の手でキリシタンを巧みに利用することも厭わない。しかし、その底には、なにか別の、固い岩のような信念が宿っていることを知る者は、ほとんどいない。
南蛮医探索計画
光秀が去った直後から、了斎とオルサンティは全ての予定を反故にし、全力でアルメイダの探索計画を練っていた。すべては極秘である。あらゆることを二人で決めて行動しなくてはならない。まもなく来日するヴァリヤーノ大祭司にも、決して知られてはならない。探索の大きな方向性は、すでに出ていた。盲目の了斎が、自ら豊後に出向いて探索することは得策ではない。一刻も早くオルサンティが豊後に向かい、フロイスを探し出すべきだ。
フロイスはアルメイダと行動を共にしている可能性がある。少なくともその動向は、把握しているはずだ。了斎は京都に残り、短気な光秀を宥めすかす役目だ。
了斎と示し合わせたオルサンティは、既に旅支度を整え、長崎へ向かう和船も見つけていた。幸い、繊維問屋の大型商船が、明後日堺を出るという。明日の朝京を立ち、一日かけて堺に着けば、明後日の船には十分間に合うだろう。
その時、南蛮寺で聖歌とオルガンを学んでいる青年が、遠慮がちに二人の執務室に入ってくる。ミゲルという洗礼名を与えられたその青年は、一通の書状を携えている。表書きは和紙に墨でしたためられている。差出人が日本人であることは、遠目にもすぐに分かる。
「了斎殿。ふるさとから便りが届いておりまする」。