キリスト人とユダヤ人 第2回 プロローグ2 スピノザの神様


 2018年の12月にイスラエルを初訪問した。旅は人を変えるという。しかし、不惑の40歳を過ぎてからの旅で、それまで経験のないような衝撃を受けるとは思っていなかった。渡航のきっかけは、とある日本のドローンスタートアップの創業者の招きだった。日中はいくつものスタートアップ関係者と交流した。ドローンの技術は目を見張るものがあった。自動運転やセキュリティ、AIの企業もあった。最先端の科学技術を引っ提げて大胆にチャレンジするイスラエルのスタートアップ。日本との差に愕然とせざるを得なかった。

 ところが、ビジネスを離れてイスラエルの日常を眺めると、さらに別の顔がのぞいていた。宗教が生活の中核を成す、ユダヤ教社会としてのイスラエルだ。食事に厳しい戒律があることは言うに及ばない。驚いたのは、安息日にかかる律法の厳格さだ。

 タナハ(キリスト教徒がいうところの旧約聖書)に定められた安息日の規定は細部に渡る。現代社会でこれを厳密に守ることはとても難しい。それでも金曜日の夕方には、あらゆるビジネス活動は有無を言わさず終了する。公共交通機関も停止される。エレベータまで止まるのだ。安息日の期間中は、機械も働いてはいけないと定められているからだ。※但し、近代的なテルアビブのような都市には高層ビルも多数ある。そのような場合は、安息日が始まる前にエレベータが自動運転に切り替えられるなどの処置が取られるようだ。

    宗教と科学の不思議な共存
 合理的先端科学の粋を極めたドローンや自動運転をけん引する一方で、2000年以上前に定められたタナハの法(律法)を守り続け、安息日の不便を受け入れるイスラエル。宗教と科学が奇妙に共存する現実に、不思議な感覚を抱かざるを得なかった。目の前のものに違和感を抱いたというよりも、自分の中にそれを説明する枠組みが全くなかったことに対する驚きという方が、正確かも知れない。

 このコラムを書くきっかけは、前回のコラムでも述べた「3つの違和感」からきている。一つは某国の総理大臣が嬉々として連呼する、「法による支配」という言葉への違和感。もう一つは、冒頭で触れた、イスラエルにおける「宗教と科学の奇妙な共存」への違和感。そしてもう一つは、ユダヤ教徒のことを「ユダヤ人」と呼ぶのに、キリスト教徒のことを「キリスト人」と呼ばないことへの違和感だ。今回は、2つ目の違和感について書く。主人公は、オランダに生まれたスファラディ、スピノザだ。


    タナハと科学
 ギリシャ人やローマ人と同様、ユダヤ人もまた、古くから科学に深い関心を抱いてきた。ユダヤ法(律法)の聖典であるタナハには、科学に関連するいくつもの法令がある。例えばレビ記19章35-36節 。ここでは、正しい重さと尺度の使用が強調されており、公正な取引を促すための度量衡が規定されている。また、創世記 6章14-16節 では、ノアを洪水から救った方舟を建造するための具体的な方法が書かれている。ゴフェル材で舟を作り、その内外をコールタールで塗れと書いてある。また、方舟の寸法についても具体的に述べられている。

地中海貿易の一翼を担った古代イスラエルの人々にとって、船は特別な存在だったに違いない。その建築技術は彼らを大いに助けたはずだ。彼らは地中海貿易によって繁栄し、そしてその中で、商取引に必要な各種の金融技術(為替、決済、投融資など)を発展させた。

 しかし、科学についてタナハに記述された基本法のみで、複雑化していく社会のすべてを統治し続けることは当然不可能だっただろう。新しい技術が新たな問題を生んだ時、律法はどう適用されるのか。科学的事項に限らず、こうした問題は頻繁に起こった。異国の地で知らない食べ物を供されたとき、それはコーシャに照らして食べてもよいのか。こうしたことに対して、ユダヤ教社会ではラビ(律法学者)を中心に解釈が重ねられた。タナハの行間を読み解くこうした行為の成果は、ユダヤ教社会における法務Q&Aのやり取り(レスポンサ)を通じて蓄積された。そして律法学者達により、タルムードとして集約されていく。

 ※ちなみに、こうした律法解釈の蓄積は現在でも続いている。コロナウィルスが世界を覆ったとき、世界のユダヤ教徒の最大の関心は、コロナワクチンは律法に照らして合法か否か、ということだった。多くの律法学者は、健康の保持と命の救済(ピクアフ・ネフェシュ)を重視し、ワクチン接種は律法に照らして合法と判断した。イスラエルのワクチン接種実施が極めて迅速だった要因の一つと考えられる。

    北方ルネサンス時代のオランダに生まれたスピノザ
 考察の対象を中世に移そう。中世欧州社会は、キリスト教国の王や教会が定めた法が支配した世界だ。その中で、王の隷属民として管理されたユダヤ教徒たちにとって、律法とユダヤ教徒コミュニティをどう守っていくかは、極めて深刻な問題だった。この時代、スペインやポルトガルから追放されたユダヤ教徒たちは、様々なルートからオランダに集結しつつあった。キリスト教社会ではカトリックに対抗してプロテスタントが勃興した。世界初の株式会社としてオランダ東インド会社が設立され、欧州は植民地スタートアップ投資に沸いた。さらに、イタリアで活発化していたルネサンス運動が欧州全土まで広がり、北方ルネサンスが花開いた。

そのような時代にあって、あるユダヤ人の若者の目には、時のオランダユダヤ教社会が、ひどく硬直化したものに映った。そして彼は、重箱の隅をつつくようなタルムード解釈の議論に終始する律法学者らと袂を分かち、自らすべてを再定義しようと挑んだ。それがスピノザである。彼もまた、先祖の代にポルトガルから追放され、オランダに渡ってきた一族の子孫だった。

スピノザは、既存のユダヤ教や律法学者を正面から批判し、返す刀でキリスト教も批判した。そして、ルネサンス時代における神と信仰の在り方を、再構築しようとした。それは、宗教と科学の関係においても新たな哲学を生み出し、西洋近代化の地平線を開く一つの原動力にさえなった。スピノザはその代償として、ユダヤ教社会から破門された。しかし、彼はそれをまるで意に介さなかったと伝わる。

    スピノザのユダヤ教批判
スピノザのユダヤ教批判と哲学の核心は、神と自然の関係性の再定義だ。私はそう理解している。前回のコラムで述べた通り、ユダヤ教では神を自然の上位概念として定義した。彼らの神は、創造の7日間で天地を含むすべての世界を創造した。だから、彼らの神は自然を支配しコントロールすることができる、自然より上位の概念だ。

なぜユダヤ教にこのような概念が取り入れられたのか。ユダヤ教が生まれた紀元前時代の地中海周辺は、自然崇拝を基礎とした多神教国家(ギリシャやローマ)が支配していた。古代イスラエルの人々は、自分たちの神を彼らの神々より上位の概念、「唯一神」として構築した。そして、その唯一神との間で、国土(イスラエル)の領有権を中核とする契約(十戒)を締結したとして、国家と領土、民族を定義した。そして、圧倒的軍事力で自らの法を他者に強制する覇権国家に対して、非軍事的手法によって自らの国家と法の正当性を主張しようとした。これが私の推論だ。

このように、神を自然の上位概念として定義したユダヤ教に対し、スピノザは、そこに上下はなく、神と自然は完全に同一であると考えた。そして、「神即自然」(英語:God is Nature。ラテン語:Deus sive Natura)という概念を打ち立てた。そして、神こそが世界における唯一の実体であり、すべてのものはこの実体(自然)の「属性」または「モード(形態)」として存在すると考えた。従って、自然の中にこそ、本当の神の法が存在すると考えた。彼は、この考え方を説明するために、著書「神学政治論」の中で次のような問いを発する。

「アダムとエヴァは、どうして知恵の実を食べることができたのか」


 前回のコラムでも述べた通り、タナハにおいて、アダムとエヴァは、神と最初の契約を交わした。永遠の楽園(エデン)で暮らすために、彼らはたった一つの契約(知恵の実を食べてはならない。)だけを守ればよかった。(創世記2章16-17節)。しかし、彼らは知恵の実を食べ、楽園を追放される。ユダヤ教やキリスト教と縁のない日本でも多くの人が知る、聖書の有名なエピソードだ。スピノザの問いの意味を、私なりに解釈して示すならそれはこういうことだ。

「たかが人間であるアダムとエヴァが破ることができたルール(法)など
本当の神の法といえるのだろうか」。

 神が唯一にして絶対の存在であるという点では、スピノザの考えとユダヤ教やキリスト教、あるいはイスラム教の考え方は少しも矛盾しない。(だから、スピノザを無神論者と理解するのは間違いだ)。しかし、唯一神が本当に神の法を定めたなら、それを人間ごときが破ることは不可能なのではないか。そもそも人間自体を神が創造したというならば、本来人間は神の法に背くことはできないのではないか。しかしアダムとエヴァは背くことができた。であるならば、神が2人に示したかった真理(神の法)は、本当はもっと違う内容だったのではないか。アダムとエヴァ(すなわち人間)には、神の法を正しく認識・理解する能力が不足していただけではないのか。スピノザはそう考えた。

 

□三平方の定理は、神の法である。
 一方でスピノザは、世界には確かに、絶対に人間が犯すことができない不変のルール(神の法)が存在するとも考えた。そして、三平方の定理を例に出す。直角を挟む三角形の二辺の長さの二乗の和は、長辺の長さの二乗と一致する。これは不変の定理・真理であって、人間が破ったり改竄したりすることができない絶対の真理、すなわち神の法(ルール)だと。

 つまり、自然と神は一体(神即自然)なのだから、自然のふるまいそのものこそが神の法の表れである。だから、自然のふるまいを正しく探求し、理解しようと努力すること(科学)こそが、神の法を本当に理解するための行いである。これがスピノザ哲学の一端だ。

 このようなスピノザの自然観は、西洋の近代化における科学の追求に、どの程度直接的な影響を及ぼしたのか。客観的に推し量ることは難しい。しかし例えば、相対性理論を始めとし、数多くの奇跡的な業績を残したアインシュタインは、「聖書は古ぼけてカビの生えたパピルスにすぎず、自分が信じるのはスピノザの神だ」という趣旨のことを述べている。よく知られた話だ。彼もまたユダヤ人だった。

 私は、西洋の啓蒙主義は、宗教を迷信として切り捨て、それを否定することで科学を発展させたと捉えていた。しかし、それは多分間違っているのだろう。きっと、西洋の少なくない人々にとって、自然の真理を探究(科学)することは、神の法を理解するための宗教的行為なのだ。そして、このスピノザ的科学観は、現在の世俗的なイスラエルの知識層の一部にも、脈々と受け継がれているように感じる。私がイスラエルで感じた違和感の、一つの答えがそれかも知れない。

 ただ、このようにスピノザの哲学を解釈したとき、当然ながら新たな疑問も生じる。もう一度アダムとエヴァの例に戻る。スピノザの「神即自然」という概念に基づくなら、アダムとエヴァ(すなわち人間)もまた、神の一つの属性(モード)である。自分の欲求や意思に素直に従い、知恵の実を食べた二人。彼らもまた神の一形態(モード)なのであれば、その選択と行為(知恵の実を食べたこと)もまた、神の意志ということになる。では、人間が欲望と意志のままに行動することはすべて、神の意志の現れとして肯定されるのか。なんの抑制(ガバナンス)もなく、人間社会は存続できるのか。

    人をガバナンス(統治)するのは「理性」と「人の法」
この疑問について、スピノザの哲学から回答を得るなら、スピノザは、肉欲や金銭欲に縛られる(統治される)ことこそが、人を本質的に不自由にさせるものだと考えた。そして、理性的であることこそ、神の意志を表す人間の自由なあり方だと考えた。自らを欲望に統治させてはならない。理性によって自らを統治せよ。それこそが本当の神の意志であり、自由な人間の姿だ。スピノザはそう考えた。

 そして、スピノザの哲学は社会統治構造の検討にも及ぶ。スピノザは、理性により自らを統治することが、人間に課せられた究極の神の意志と考えた。しかし、同時に、全ての人間がそれを達成できるとも考えなかった。だから、神の法以外に、「人の法」は必要であり、人々はそれを守るべきだと考えた。

 そもそも、大航海時代が始まると、西洋の人々はアブラハムの神の統治下にない者たちとも取引をする必要があった。国富を強化し、スペインに対抗することが喫緊の課題であったオランダでは、特に実利的な考え方が優先された。

 こうした中でスピノザは、絶対の真理(神の法)と、人間同士の契約(人の法)は共存が可能だと考えた。面白いことに、スピノザはこの「人との契約」の事例として、オランダ人と日本人の貿易協定について触れている。異教徒である日本人と協定を結ぶ以上、究極の異教徒である日本人が示した法(貿易を出島に限定することや布教活動の禁止、宗教的儀式の禁止)に、オランダの貿易商人(キリスト教徒やユダヤ教徒)が従ったとしても、彼らが理性をもって自らを統治しているならば、神を裏切ったことにはならない。スピノザはそう考えた。

貨幣経済の勃興とスピノザの哲学
 スピノザが生きた時代は、大航海時代の初期だ。スペインは南米から膨大な銀を略奪し、それをばら撒いて国力を強化した。オランダは、日本から大量の銀を輸入し、スペインに対抗した。貨幣供給量を制御する、中央銀行のような仕組みもまだない時代だ。貨幣と実体経済のバランスは大きく崩れた。そして巨額の過剰流動性が発生した。私の理解では、この時代に世界は、歴史上初めて本格的なマネーインフレを経験する。価格差で儲ける機会を得やすくなった商業や貿易は発展した。一方で、価格変動に弱い伝統産業(農業など)は大打撃を受けていく。社会のスクラップ&ビルドが加速した。

 そして、社会において「貨幣」がより決定的な存在となっていく。貨幣は、これまで西洋キリスト教社会を統治してきた王や教会、あるいは神より上位に君臨し、はるかに強力に人間を統治していくことになる。貨幣が人間を統治するための法(ルール)は、極めてシンプルで分かりやすいからだ。

「私のこと(貨幣)を、もっともっと、殖やしなさい」。

 これが唯一、貨幣が人間に対して課した法(ルール)である。貨幣を殖やすために、西洋世界は植民地獲得競争を繰り広げた。貨幣はある意味で、神よりも上位に立って人々をガバナンスした。なぜか。世界初の株式会社が、「法人」という概念を生み出したからだ。タナハや新約聖書は人間(自然人)を統治するための様々な知恵を提供してきた。しかし、法人については規定されていなかった。アブラハムの神は自然人を創造したが、その自然人(人間)がまさか法人格などという概念上の契約主体を創造することは想定していなかった。

 従って、オランダで株式会社が生まれたとき、この法人はなにによってガバナンス(統治)されるべきなのか、聖書にその答えは書かれていなかった。そこで人々は、法人と自然人との関係性を2つにまとめた。一つは、利益を生み出すための要素投入財としての「使用人」である。そして、もうひとつは法人を統治する、「社員(株主)」と呼ばれる自然人だ。そしてその社員(株主)は、貨幣の忠実な奴隷となった。

    スピノザは、自らの哲学が貨幣にガバナンス(統治)されることを、最後まで拒絶した
このような時代の中で、スピノザは自らの哲学が貨幣にガバナンスされることを、最後まで拒否し続けた。スピノザの親は、宝石商人だった。父親が亡くなると、スピノザは弟とともに事業を継ぐ。しかし、ほどなくして会社を清算せざるを得なくなった。事業を承継した時点ですでに多額の負債があり、借金を相続するか、事業を清算するかの判断に迫られ、清算を選択したようだ。その渦中で、親族間の金銭争いにも巻き込まれた。こうした経験から、貨幣に振り回されることのむなしさが身に染みたのかも知れない。但し、詳細は分からない。

 スピノザはユダヤ教社会から、ユダヤ教批判を止めれば生活の糧を与えるといわれても首を縦に振らなかった。又、貧しい生活を心配した友人が大学の職を斡旋しても固辞し続けた。そして、レンズ職人として最低限の経済的自立を果たしつつ、自らの哲学を追求した。そのように伝わっている。

 偉人の人生は、得てして誇張されるものだ。スピノザがレンズ職人として本当に自活していたのか、それとも事業承継の結果、多少とも残った財産を糧に(今風にいうなら「プチファイヤー」を達成し)、悠々自適に哲学を追求したのか。本当のところはよく分からない。

しかし、様々な欲望に自らが支配されることこそが人間の不自由であるとし、それを乗り越えて理性で自らを統治せよと説いたスピノザ。彼は、自らの哲学を自らの人生で示した「実践の人」だった。私はそう捉えている。

彼が生前に残した著書は「神学政治論」を含めごく少数だ。神学政治論は匿名で出版され、ほどなく発禁となった。彼の哲学の集大成「エチカ」は、その死後に出版された。残した著作は少ないが、スピノザはその後の西洋哲学に大きな影響を与えた。

    スピノザは反ユダヤ主義者か。
 スピノザは、現代においても非常に扱いが難しく、評価が分かれる人物だ。特に、ユダヤ教社会における彼の評価は総じて厳しい。スピノザのユダヤ教批判は、近代的反ユダヤ主義理論の一部となり、ユダヤ民族に取り返しのつかない災禍をもたらすきっかけとなったという批判もある。現在のオランダユダヤ教社会では、スピノザの破門を撤回し、名誉を回復すべきという議論がしばしば起きる。しかし、こうした審議は常に否決されて終わっている。

 私は、スピノザが反ユダヤ主義者だとは思わない。「イスラエル」という言葉には「神と戦う」という意味合いがあると聞いたことがある。これは、創世記32章に出てくる、神とヤコブの格闘からきている。この格闘は夜通し続き、これを通じて神はヤコブを認めた。そして彼に対し、今後「イスラエル」と名乗れと伝えたという。

 スピノザは、既存の概念や大きな力、軋轢や対立を、ただ是認して受け入れることはせず、戦った。既存のもので解決できないなら自ら創る。そして、自らの哲学を打ち建てるためにその魂を燃やし続け、44年の生涯を終えた。私には、彼の人生は、常に実践の中に身を置くことを重んじた、誇り高きスファラディユダヤ人の生き方そのものに映る。彼の死因は結核だった。結核もまた、ペストと並んで世界を苦しめ続けた疫病だった。
 

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GMDコーポレートファイナンス(現KPMGFAS)にてM&Aアドバイザリー業務に従事。バイサイド、セルサイド双方の案件エグセキューションを経験。 その後、JAFCO 事業投資本部にてバイアウト(企業買収)投資業務に従事。 また、IBMビジネスコンサルティングサービス(現日本IBM)にて、通信/ITサービス企業の事業ポートフォリオ戦略立案等、情報通信/ITサービス領域におけるコーポレートファイナンス領域のプロジェクトをリード。
2013年 IGNiTE CAPITAL PARNERS株式会社設立。代表取締役就任。
日本証券アナリスト協会検定会員
日本ファイナンス学会会員

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