商業銀行が発行するデジタル通貨の可能性


前回のコラムでは、ビットコインをはじめとする変動相場型の仮想通貨が基軸通貨になる可能性はないという見解を書きました。仮想通貨に関する2回目のコラムは、現在国内の商業銀行を中心に採用が検討されている「銀行版デジタル円通貨」について考察してみたいと思います。今回のコラムの結論を最初に書くと、以下の通りです。

“銀行連合が検討している対円固定相場制採用のデジタル円通貨は発展可能性が高い。もし本当に実現したら、銀行は大規模な構造改革に向き合わざるを得なくなる。しかし、スタートアップ企業にとっては優秀なCFO人財のチャンスが訪れるかも知れない”

現在国内では、みずほ銀行をはじめとする都銀・地銀連合が構想するJコインや、三菱MUFGグループによるMUFGコインなど、メガバンクを中心に研究開発が進められているデジタル円通貨構想がいくつか存在します。

また、監督官庁である金融庁は、こうしたデジタル円通貨の構想が個別に進み、それぞれの陣営がブロック経済を形成したり、異なる技術の乱立が預金者の利便性を低めたりするリスクを嫌っているのでしょう、広く民間商業銀行が連携して統一的な方向性を見出すよう業界に要請しており、今後みずほ陣営と三菱陣営が合流していく可能性もあるといわれています。

こうした、銀行主導のデジタル円通貨の実現可能性や、これが実現した場合のインパクト、また、既存のビットコイン等暗号資産との違いについて改めて整理・考察してみることが今回のコラムの趣旨です。

■銀行預金は、元祖デジタル通貨
本コラムの導入として、まずそもそも「銀行預金データ」とはなにか、ということについて考えてみます。誤解を恐れずにいうならば、銀行預金データは立派な「元祖デジタル通貨」であるというのが本稿の立場です。

例えば、私が東京でATMから入金した3万円は、旅行に出かけた宮崎のセブンイレブンのATMからも引き出すことができます。当たり前ですが、私が東京で預けた紙幣そのものがワープして宮崎に届くわけではありません。東京で預け入れた紙幣に蓄えられた3万円分の価値は、まず電子データとして銀行のサーバーに格納されます。そして、この価値が通帳台帳データとして保存され、宮崎のATMからコールがかかった時にデータが照合され、3万円相当の価値がある紙幣に再変換されて提供されます。そこには当然手数料が上乗せされます。

これが意味するところは、銀行は、現金(紙幣や硬貨)1単位と預金通貨(預金データ)1単位を、常に1対1の固定レートで交換することを保証して預金通貨を発行する、デジタル通貨の発行・管理体のひとつであるということです。(マクロ経済学で、いわゆるマネーサプライ(通貨流通量)を定義する際に、預金が通貨の一部としてカウントされるのも、預金が現金とは異なる通貨の一種であることを表しています。)

しかし、ごくまれにこの1対1の交換レートが守られない事態が起きます。これが、銀行のデフォルトと呼ばれる現象で、例えば100万円あずけたのに、70万円しか返ってこないということが稀に生じます。

これは、預金通貨が現金通貨との固定相場制を維持できず、預金通貨の価値が現金通貨に対して切り下がってしまったことを意味します。これが、他の銀行に対する不信にまで波及すると、預金者が一気に預金通貨と現金通貨の交換に殺到する(取り付け騒ぎ)ため、健全な銀行までも倒産してしまうことになります。これがいわゆる信用不安であり、固定相場制預金通貨制度の崩壊です。

このような事態が起きることなく、常に1対1で円と預金通貨(預金データ)を交換することを保証する(交換レートを固定する)ということは容易なことでありません。あらゆる預金者の求めに応じて、いつでも確実に、1対1のレートで交換できるよう一定の現金通貨を準備(厳密には日銀の当座預金残高の法定準備率以上の維持)しつつ、預金データの安全管理と運用に必要なあらゆる仕組みを、膨大なコストをかけて構築、維持しなくてはなりません。そして銀行は、そのコストを賄うために融資や決済業務で十分な収益を上げる必要があります。

銀行は、この固定相場レートを維持し、預金通貨を安全に管理するため、膨大な投資(人材投資、統制組織の構築、そしてシステム投資)をしてきました。特にATMに代表される銀行基幹システムは絶対に停止してはならないものであるため、30~50年以上前から続く基幹システムに度重なる増築・改修を重ねざるを得ませんでした。当然、そこで使われるアーキテクチャー(技術基盤)も、安定性こそあるものの、極めて古めかしいにならざるを得ません。いわゆる典型的なレガシーコストの発生です。

このような膨大な管理・維持コストがかかる預金通貨固定相場制度維持の仕組みを、マイナス金利下の経済環境の中で運営・維持していくことが中長期的に可能なのか、これが今、銀行に突き付けられている根本的な経営課題であると弊社は捉えています。

■ブロックチェーン技術を活用して預金通貨を管理できるようになれば、預金通貨固定相場制の維持コストが劇的に下がる可能性がある 
 このような環境下において登場してきたのが、ブロックチェーン技術を活用したデジタル通貨です。ブロックチェーン技術を活用すれば、これまで膨大なコスト(人件費、システム投資)をかけてきた固定相場制預金通貨管理システムを、劇的に低いコストで運営することができる可能性がある。これが、商業銀行がブロックチェーンを活用したデジタル円通貨に取り組む本質的な意味だと弊社は考えています。つまり、JコインやMUFGコインといった名称は、それぞれの陣営が採用するブロックチェーンテクノロジーの種類や方式により、異なる名称(色)を付けた預金通貨の新しい形を指す言葉と捉えることを意味します。

■銀行版デジタル円通貨の実現がもたらすだろう構造改革をどう捉えるべきか

 もしも、現在のデジタル円構想が実現に向けて進捗し、預金通貨の取引コストや、預金データベースの維持管理(=すなわち主要な商業銀行業務)コストが劇的に下がった場合、銀行は大規模な構造改革に直面するだろうと思われます。

銀行は現在、先に述べたレガシーシステムを維持するために、膨大な人員を抱えています。もし、銀行版デジタル円通貨が現実化した場合、もはや銀行に必要な主たる投資対象は、大量の優秀な人材ではなくなってしまうかも知れません。人材の代わりに投資対象となるのは、ブロックチェーンの取引記録を記帳するために、膨大なハッシュ関数演算処理を行うためのハイパワーコンピューティング能力になる可能性があります。

こうなったとき、銀行はブロックチェーン分散台帳を維持管理するための、データベーステクノロジー企業に近くなるかも知れません。もちろん、融資業務等はある程度残るでしょう。しかし、大きなトレンドとして、貸付業務が今後再び大幅に伸びて収益の柱となる可能性は低いように思われます。そうなると、銀行の主たる業務は、預金管理とそこから派生する決済業務にならざるを得ないのではないか。(すでに多くの銀行の決済業務収益は貸付業務による金利収入と並んで収益の柱のひとつです)

ここ数週間の間に、銀行がRPA(Robotic Process Automation)の積極的な活用により、既存銀行業務の大幅な効率化を行い、それに伴う人員の削減に乗り出すと報道されています。この動きに、銀行版デジタル通貨の実現の流れが加わればさらにこの動きは加速するでしょう。

このような流れは、後ろ向きに捉えると暗い気持ちになりますが、前向きに捉えれば、特にフィンテック関連のベンチャーにとっては、優秀な人材を多く招き入れることができる大きなチャンスとも言えます。有能な銀行出身者がどんどんスタートアップに加われば、出身母体のメガ銀行とベンチャーの協業も深められる可能性が高いでしょう。フィンテックベンチャー以外でも、優秀なCFOが採用しやすくなるかも知れません。

私は、日本のM&Aアドバイザリービジネスや投資ファンド業務が急速に拡大・発展できたのは、1990年代後半の経済危機の際、旧長期信用銀行や山一証券のトップエリートなど、普通なら絶対出てこない一流人材が、続々と転職市場や起業マーケットに出てきたことが大きく関係していると考えます。今後再び大きな構造転換を迎えるであろう銀行業務の変革も、大きな目で見れば新たな産業の発展につながる大チャンスかも知れません。

今回は、メガバンクが構想するブロックチェーンを活用したデジタル円通貨の可能性について考察しました。次回(最終回)は、デジタル円通貨の究極の理想形態といわれる、日銀によるデジタル仮想通貨発行の可能性と、伝統的金融政策効果の無効化リスクについて、書いてみたいと思います。
 

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設立 2013年3月
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代表取締役経歴

GMDコーポレートファイナンス(現KPMGFAS)にてM&Aアドバイザリー業務に従事。バイサイド、セルサイド双方の案件エグセキューションを経験。 その後、JAFCO 事業投資本部にてバイアウト(企業買収)投資業務に従事。 また、IBMビジネスコンサルティングサービス(現日本IBM)にて、通信/ITサービス企業の事業ポートフォリオ戦略立案等、情報通信/ITサービス領域におけるコーポレートファイナンス領域のプロジェクトをリード。
2013年 IGNiTE CAPITAL PARNERS株式会社設立。代表取締役就任。
日本証券アナリスト協会検定会員
日本ファイナンス学会会員

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