日本型ユダヤ陰謀論とその危険性について~3つの源流とその派生型~


 中東紛争を理解するために重要なことは、当事者であるイスラエルの人々とパレスチナの人々が、どのような国民性や民族性を持つ人々なのか把握することでしょう。しかし、特にイスラエル国籍を持つ人々の大多数を占める、ユダヤ人と呼ばれる人々の民族性や国民性は、世界で最も誤解されやすいといっても過言ではありません。これは、過去1,000年以上にわたって西洋キリスト教社会が執念深く流布し続けた「ユダヤ陰謀論」の結果です。

これにより、現代でも未だに「鉄の団結で世界を陰で支配するユダヤ人」という陰謀論が一部の人々の頭に刷り込まれています。特に日本では、漫画やアニメなどで一神教をストーリーのモチーフとしている作品も多く、ものによっては、無邪気な理解不足が意図せずして「ユダヤ陰謀論」に加担していることもあります。こうしたこともあり、日本はキリスト教国でもないのに、特定の層において熱心なユダヤ陰謀論者が存在する稀有な国といえます。さらに驚くことに、自称中東専門家、歴史専門家、そして元外交官などの中にも、このユダヤ陰謀論者が一定程度存在するのです。そして、一神教と無縁な日本の中で「私だけは真実を知ってしまった。」と信じ込み、無邪気にそれを拡散する。

私が見るに、こうした日本型ユダヤ陰謀論者の一部は、やはりなんらかの形でキリスト教の影響を受けています。そして残りは単純に「陰謀論にはまりやすい人」といえます。こうした陰謀論に共通するのが「一糸乱れぬ団結力で、陰で世界を操るユダヤ人」というステレオタイプの民族理解です。これがいかにおかしな理解か、多少なりともイスラエルと交流を持った経験から説明してみましょう。中東和平と二国家共存に、日本人が少しでも貢献しようと真剣に考えるなら、ユダヤ陰謀論は百害あって一利なし、だからです。

■ 日本人が3人集まると2つの派閥ができる。ではユダヤ人は?
 イスラエルとのビジネス経験が長い方(A氏)と話をしていて政治の話になったことがあります。私はこう言いました。「日本人は集団的で、3人集まれば2つ派閥ができる」と。これに対してA氏はこう言いました。「イスラエルではねえ。2人集まると3つの派閥ができるのだよ」、と。

 2人しかいないのに3つも派閥ができるわけがない。それが常識でしょう。しかし、私はこの話に深く頷いてしまいました。それだけイスラエルの人々の物事に対する考え方や姿勢は複雑で、一人の中に二人が住んでいるのではないか、と思わされることもしばしばあったからです。とにかく彼らは議論を始めると絶対に妥協しない。自分の意見を持たず、盲目的に誰かの意見に従うことなどは最大の屈辱であり、まるで敗北と考えているかのようです。

 これは、イスラエル政治の歴史を見てもわかります。イスラエルの国会は、建国以来70年以上にわたり、一度たりとも単独過半数を取った政党が存在しません。従って、必ず連立を組む必要があり、この組閣をめぐって様々な暗闘が繰り広げられる。これがイスラエル政治の特徴です。「付和雷同」「長いものに巻かれろ」「右向け右」「沈黙は金」「集団行動」。日本人になじみの深いこういった概念ほどイスラエルの人々に合わないものはないのです。イスラエルでは軍隊でさえ、時には部下が上司に敢然と意見することがあるといいます。これは世界の軍隊の中でもかなり特殊でしょう。

■ ジョージソロスはネタニヤフの「不倶戴天の敵」
 具体的な例を挙げてみましょう。ユダヤ陰謀論者が最大の標的とする「ディープステート」(陰謀論者がいうところの闇の勢力)の雄、世界的投機家のジョージソロスは、ハンガリー出身のユダヤ人です。このソロスは、ネタニヤフ政権と鋭く対立し続けています。ソロスがネタニヤフのパレスチナ政策を批判し続けるからです。2人は共にユダヤ陰謀論者に無限の燃料を注ぎ続ける存在です。一方はユダヤ人の超金持ちであり、もう一方はシオニズムを体現する政治家。ともにユダヤ陰謀論者の大敵です。しかし、この両者の間に「結託したユダヤ人」の姿など、影も形もありません。(陰謀論者は、それでもなにかがある、と信じるのでしょうが。)

個人的には、ソロス氏のような国家そのものを否定しかねないほどの究極の国際主義にも、ネタニヤフ氏の国家主義にも全く共感するものはありません。しかし、二人のユダヤ人の主張がここまで鮮やかな対照性を示すのは、ユダヤ人と呼ばれる人々をなにかのカテゴリーで括ろうとすることになんら意味がないことを示す好例です。

 こうした話はいくらでもあります。究極のグローバル資本であるゴールドマンサックスを創設したのがユダヤ人のマーカスゴールドマンなら、共産主義イデオロギーの基礎を構築したカールマルクスもユダヤ人です。

また、ユダヤ教の超正統派の一部には、現在のイスラエルを国家として認めていない人々がいます。彼らにとってイスラエルは、神から与えられるものであり、バルフォア(二枚舌外交を演じた元イギリス首相)から与えられるようなものではないと考えるからです。だから、本当の神の啓示があるまで、あるいはメシア(救世主)の到来まで、国家再樹立は待たなくてはならないと考えます。

 一方で、私がイスラエルで出会ったユダヤ人IT起業家は、「土曜の昼間」に「チーズバーガー」を食べながら、仕事のメールをしていました。日本ならどこでも見られるような光景ですが、彼は重大なユダヤ教の律法違反を犯しています。土曜日の昼は安息日ですから、働いてはいけません。チーズバーガーは「肉と乳」を同時に食べることになるため、重大なコーシャ(食事戒律)違反です。しかし彼は「自分はたまたま母親がユダヤ人だっただけだ。俺には何の関係もない。コーシャ料理はしょっぱいから苦手だ。」と意に介している様子はありませんでした。彼にとっては、神との契約(律法)より、日本企業との業務提携契約のほうが重要だったのです。

■ アシケナージユダヤ人はカザールの末裔という戦後型ユダヤ陰謀論
 筆者に限らず、このようなイスラエルの人々の多様性を実際に知る人は、「一致団結して陰で世界を操るユダヤ人」という陰謀論がいかに滑稽なことかはすぐ分かるでしょう。このような形の陰謀論の多くは、元ネタを辿ると、ロシアが戦前の帝国崩壊期に流布した「シオン議定書」と呼ばれる偽情報にたどり着きます。

 しかし、この「議定書型の陰謀論」に加え、近年のユダヤ陰謀論にはもう一つの流れがあります。それが、「アシュケナージユダヤ人はカザールの末裔であり、本当のユダヤ民族ではない」というものです。ここでは「カザール型ユダヤ陰謀論」とします。中世から続く「キリスト教型ユダヤ陰謀論」、戦前から続く「シオン議定書型陰謀論」に加え、戦後はこの「カザール型ユダヤ陰謀論」が陰謀論者を魅了しました。

 カザール型ユダヤ陰謀論の最も有名な元ネタは、イギリス系ユダヤ人のアーサーケストラーが書いた「第十三氏族(1971年)」という書籍です。この本は日本でも30年後の1990年に翻訳出版され、日本の戦後後期のユダヤ陰謀論を牽引します。この本でケストラーは、中世東欧のカザール王国がユダヤ教を国教とした時期があったことを根拠に、アシュケナージユダヤ人は、本当はユダヤ民族ではなくカザール王国の末裔なのではないか、という説を唱えたものです。

 当時はこうした説を遺伝学的に検証する技術もなく、もっともらしい説として一部の知識層にまで広がりました。実際にこの邦訳版を読んだことがありますが、仮説を思い込みで検証する類のものであり、なんの学術的根拠も感じられないレベルのものです。実際に、この「カザール仮説」に対しては、近年科学的な検証が飛躍的に進み、遺伝学の立場からもほぼ完全に否定されています。(代表的な文献のリンクは以下の通り)

1:アメリカ国立医学図書館ウェブサイト掲載論文
2:科学雑誌ネイチャー掲載論文
3:科学雑誌サイエンス掲載論文(有料)

■ アシュケナージと呼ばれる人々はローマ帝国の中心に離散した
 アシュケナージと呼ばれる人々は、スファラディ(イベリア半島に離散したユダヤ人)やミズラヒ(主に北アフリカ方面に離散したユダヤ人)と異なり、古代イスラエルを滅ぼしたローマ帝国の中核エリアに離散した人々です。アシュケナージとは、ドイツを指すヘブライ語ですが、彼らはいきなり古代イスラエルから西欧内陸北部のライン地方に離散したのではありません。

古代イスラエルはローマ帝国の属州時代から、地中海の東端に位置する重要な貿易拠点であり、当然宗主国であるローマとの貿易は盛んでした。ローマ帝国は、カイザリヤ(イスラエルの港湾都市)を重視し、欧州の山中からわざわざ巨岩を大量に運搬し、水に触れると硬化する当時最先端のコンクリート生成技術を用いて、ローマンコンクリートと呼ばれる建材を創りました。そして、砂浜を浚渫し、このローマンコンクリートを使って、大型船が入れる港を建設しました。ローマがいかにカイザリヤを重視していたかわかるでしょう。これをイスラエル側で主導したのが、建築の天才といわれたヘロデ王です。(彼はイドマヤ人でした)

 こうした中で、イスラエルの貿易商人などもローマ側に移り住み、ローマ帝国の勢力拡大とともに数世紀をかけてライン地方に北上していったと考えられます。カザール王国とはほとんど関係ないのです。アシュケナージの人々が、スファラディやミズラヒの人々と異なるのは、ローマ帝国の中枢エリアに離散したため、ヨーロッパ系の人々との婚姻や混血がより早く進んだということでしょう。これは、先に挙げた遺伝研究でも示されています。そして10世紀にはいると、キリスト教徒による十字軍遠征や、ペストの流行によるヒステリーが、ユダヤ教徒たちをさらに欧州の奥(東欧など)に追いやっていったのです。

■   「ユダヤ陰謀論」は思考を停止させるだけ。ディープステート陰謀論の危険性
「キリスト教型ユダヤ陰謀論」「ロシア議定書型ユダヤ陰謀論」「カザール仮説型ユダヤ陰謀論」。ユダヤ陰謀論の構成要素を分解すると、およそこの3つになります。そしてこれらの合わせ技とも言えるのが「ディープステート(闇の勢力)陰謀論」です。アメリカがユダヤ人に支配されており、全ては彼らの意のままであるという陰謀論です。

確かに米国のユダヤ人は、アメリカの政治に重要な影響力を持ってきました。それは、能力主義の合衆国では、知識と知恵、不屈の精神を武器に2000年生きてきたユダヤ人にとって、活躍の場が確保されやすかったこともあるでしょう。彼らは、伝統的には民主党をサポートする傾向があったと理解しています。長い歴史の中で陰謀論に苦しめられた彼らからすると、信教の自由や人権主義を重視する民主党は本来親和性が高い。そもそも自由思想の発展には、スピノザ(オランダのスファラディ)をはじめとする多くのユダヤ人思想家も貢献しています。一方で、近年では前出のソロスのような極端な国際主義者たち(いわゆるウォール街勢力)に対し、民主党が迎合したのも歴史的事実の一面でしょう。

そして、こうした米国のユダヤ人の力を共和党に向けさせると同時に、親イスラエル的思想の強いキリスト教福音派の票をつかんで大統領になることを狙ったのが前トランプ大統領です。彼は、大イスラエル主義を掲げるネタニヤフ氏と関係を深めました。大イスラエル主義とは、イスラエルの領土は聖書に示されたカナンと同じ範囲であるべきであり、国連決議で定義された国境など、無視して構わないと考えるイスラエルの極右と共鳴する政治思想です。トランプ元大統領は、ゴラン高原をイスラエルの領土だといい、エルサレムをイスラエルの首都と認定して大使館を移転し、イランのソレイマニ司令官を空爆で暗殺しました。

ソロス的国際主義や極端なリベラリズムと、トランプ的孤立主義やネタニヤフの大イスラエル主義。いずれも世界にとっての正解ではないでしょう。答えは間のどこかにしかないはずです。しかし、そうした現実解をぎりぎり見極めていく中で、ユダヤ陰謀論はただの思考停止であり、害でしかありません。

 こうした理解を踏まえたうえで、2024年末の大統領選を占う上で重要なのは、「付和雷同」「右向け右」「横並び」といった発想と対極にある米国のユダヤ人が、イスラエルロビーに指示されたからといって、某国の宗教政党のような、集団的投票行動を行うことはあり得ないということです。

 自分の意志を持たずに、誰かの指示で投票することは、ほとんどのユダヤ人が選択するような行動ではありません。候補者にとって重要なのは、米国人口の2%程度のユダヤ教徒の人々の票ではなく、一株一議決権の世界(資本主義)で存在感を持つイスラエルロビーの支持を得て選挙資金を調達することです。そして、その資金を用いて一人一票の世界(民主主義における選挙)で、共和党は福音派に対してマーケティングをする。民主党はリベラル派にマーケティングをする。これが米国大統領選挙の構図だと考えられます。

写真:オリーブの丘から望むエルサレム全景とアルアクサモスク。2018年筆者撮影

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2013年 IGNiTE CAPITAL PARNERS株式会社設立。代表取締役就任。
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