故安倍総理の中東訪問における「靴デザート」事件から何を読み解くべきか。


 現在の中東紛争を考える上で重要なことは、全ての中心にいるイスラエルのネタニヤフ首相という人物がどのような政治家なのか、という点です。中東紛争は、米国の対応を通じてウクライナ、台湾とも連動し得ます。つまり、ネタニヤフ氏が何を考え、どう判断するかは、今後の世界情勢にも直結する可能性があります。

しかし、イスラエルは日本とも地理的に遠く、宗教や文化、そして移動民族としての複雑な歴史も、定住民族の日本人とは全く異なります。そのような国で、監獄の塀の上を何度も歩きながら、内側に落ちることなくイスラエル政治に君臨し続けるネタニヤフ氏の政治家としての本質は、極東アジアの一般人が理解することはとても困難です。

 そのような中で、日本人がネタニヤフ氏を理解する一助となり得るエピソードが、故安倍総理の中東外交における「靴デザート事件」です。今回はこの事件(あえて事件とします)から見える、世界の命運の中心にいる、ネタニヤフ氏という政治家の「気性(性質)」について考察してみます。

■「靴デザート事件」とはなにか。
 2018年の4月29日から5月3日にかけ、故安倍元総理大臣は中東各国を訪問しました。これに先立つ2017年12月に、当時のトランプ大統領は、イスラエルの首都をエルサレムに認定しており、中東の緊張感が格段に増していた時期だったといえます。

 外務省の資料によれば、この時の中東歴訪で、安倍氏はまずアラブ首長国連邦から中東入りし、ヨルダンを訪問した上でイスラエルのベングリオン空港に降り立ちます。そして、「先に」パレスチナのアッバス議長を訪問したのち、エルサレムにてネタニヤフ首相との会談に臨みました。
 

参考:外務省広報 https://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me2/page3_002451.html

 事件は、最後に開催されたネタニヤフ氏主宰の私的な晩餐会で起きます。食事の締めくくりで、冒頭の写真にある「靴に盛り付けられたチョコレート」のデザートが振舞われたのです。そしてその靴の下には、日本の畳を模したと目されるマットが敷かれていました。

 この日の料理は、イスラエルの有名な創作料理家が振舞ったとされており、これもその創作の一環で深い意味はない。この写真がSNSで拡散されて物議を呼ぶと、双方の外交当局はそのようなコメントで火消し?に動きました。ちょうどこの時期、弊社でもイスラエルとのスタートアップとやり取りがあり、外交非礼ともとれるこのような行為をネタニヤフ氏が行った理由について、メンバーや関係者と議論した記憶があります。その時の議論を少し振り返ります。

■「深い意味はない」なんてことはあり得ない。
 まず、イスラエルの専門家も含めての共通認識は、このデザートに、「意図がない」ことはあり得ない、ということです。弊社は外交の専門家集団ではありませんが、首相同士の会食、そしてそこで供されるメニューは全て重要な意味を持つはずだということは分かります。(ビジネスマンの会食でもしばしばそうでしょう)。

食事には互いの歴史文化や習慣が凝縮されており、外交ではそこにはなんらかメッセージが込められることが一般的でしょう。ましてやイスラエルはユダヤ教徒の国であり、厳しい食事戒律(コーシャ)がある国です。普段から、自分が口に入れるものについて、日本人では想像もできないような敏感なセンサーが働いています。従って、このデザートに、「意味がない」という解釈はあり得ないというのが当時議論した我々の共通認識でした。

■デザートに込められたネタニヤフ氏のメッセージはなにか。
 では、このデザートにはネタニヤフ氏のどのようなメッセージが込められていたのでしょうか。日本人からすると、「土足で畳にあがる」ことは、言うまでもなく相当な非礼でしょう。情報と外交に優れたイスラエルのプロがそれに無知であることはあり得ません。しかも、靴を食事の器に使うというのは、世界的な食習慣からしても一般的ではないでしょう。このデザートには、非礼を百も承知で、それでも表現したかったネタニヤフ氏の「怒り」が込められているように見えます。その怒りの源泉はなんだったのでしょうか。

 一つ考えられるのは、この時の中東外交の「順番」です。安倍氏は、ヨルダン訪問を終えてイスラエルのベングリオン空港に降り立った後、先にパレスチナ自治区を訪問しました。外交の順番がパレスチナより後になること自体、ネタニヤフ氏にとっては面白くないことだったでしょう。また、イスラエルの空港を使っているのに、パレスチナに先に行くのはさらに非礼とも取れます。(但し、日本を含む国際支援で建設されたガザの国際空港は、ハマスに利用されることを恐れたイスラエルの空爆により壊滅しており、そもそもガザには空港がありません)。

 さらに、安倍総理はこの時、日本はエルサレムに大使館を移転しないことをイスラエルに伝えています。また、パレスチナの支援については、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に1千万ドルの追加支援を行い、ガザの海水淡水化プラント建設計画にも一千万ドルの支援を表明していました。

 ネタニヤフ氏の立場からすれば、こうした安倍氏の外交姿勢がパレスチナ寄りととらえられたのでしょう。さらに、今回の中東紛争で明らかになりつつあるように、日本を含む各国のパレスチナ支援資金や物資の一部が、テロ組織ハマスに流れ、イスラエルのリスクを高めていることも看過できなかったかも知れません。

■この事件から読み取るべき、政治家ネタニヤフ氏の「気質」とはなにか。
 弊社は、安倍氏による当時の中東外交が、「畳の上に置かれた靴に盛り付けられたデザート」を供されることと同等の「外交非礼」に当たるかどうかは判断できません。当事者にしか分からない機微も多いでしょう。当時日本国内での支持率が高く、自信を深めていた安倍氏が、なにか踏み込んだオフレコの提案をネタニヤフ氏に提示し、それが彼の逆鱗に触れたのかも知れません。高度な外交交渉の内幕を一般人が知る由はありません。(個人的にはできれば、この時当事者として安倍氏の横にいた元総理夫人には、この時どのようなことが実際にあったのか証言を期待する気持ちはあります)。

 しかし、結果的に起こったこの事件から弊社が得た示唆は、ネタニヤフ氏は怒りの沸点が低い政治家であろうということです。そして、怒りが沸点に達したとき、それがすぐに行動に出る。そして、その行動がどのような影響をもたらすのか、あまり深く思慮するタイプには見えないということです。恐らく、これに類する形のコミュニケーションを、他の相手に対しても示してきたことでしょう。

 弊社は、現時点においては、残念ながらイスラエルはあくまでハマスの壊滅(壊滅の定義は不明ですが)を目指し、北側から侵食するヒズボラとの2正面作戦も辞さないだろうと推察しています。ネタニヤフ氏は、もうそれを遂行することでしか自身を正当化できないと考えているでしょう。中東紛争がさらに拡大するリスクは、残念ながら極めて高いと言わざるを得ません。最悪のシナリオだけは避ける努力が必要です。
 

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GMDコーポレートファイナンス(現KPMGFAS)にてM&Aアドバイザリー業務に従事。バイサイド、セルサイド双方の案件エグセキューションを経験。 その後、JAFCO 事業投資本部にてバイアウト(企業買収)投資業務に従事。 また、IBMビジネスコンサルティングサービス(現日本IBM)にて、通信/ITサービス企業の事業ポートフォリオ戦略立案等、情報通信/ITサービス領域におけるコーポレートファイナンス領域のプロジェクトをリード。
2013年 IGNiTE CAPITAL PARNERS株式会社設立。代表取締役就任。
日本証券アナリスト協会検定会員
日本ファイナンス学会会員

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