中東でまた戦争が起きました。弊社は、日本のスタートアップ支援がきっかけとなり、これまでにイスラエルのスタートアップや様々な現地コミュニティと交流をする機会を得てきました。そうした中で、イスラエルとパレスチナが抱える政治的・宗教的な問題についても考察し、理解を深める必要性に迫られ、考察を深めてきました。今、一刻も早い停戦と、両国家共存の枠組みの再構築が望まれることは言うまでもありません。
しかし、この問題の本質は、いわゆるアブラハムの宗教と呼ばれる3つの一神教(ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教)の2000年に渡る対立です。アブラハムの宗教は、世界の枠組みを構成する重要な要素です。世界人口の半分はこのいずれかの宗教に属しています。そしてこれは、非一神教国である日本の人々が最も理解し難い領域・分野といえます。
弊社は中東政治の専門家集団ではありません。しかし、数年前までこうした中東問題に全く無関心だった極めて平均的な日本人が、イスラエルとの交流をきっかけに整理・理解した情報を共有することは、専門家による複雑な解説とは違う視点で、理解促進のささやかなきっかけになるかも知れません。今回の中東紛争により、世界の不安定さは極限まで達しつつあります。その震源地でなにが起き、世界の地政学にどのような影響があり得るのか。こうしたことを多面的に理解するために、このコラムシリーズがなにかのきっかけになれば幸いです。
■中東を理解するための一丁目一番地「米国とイスラエルの間に安全保障条約はない」
~日米安保との比較~
このコラムの導入として、まず日米安保条約について考えてみます。米国と日本の間には、サンフランシスコ講和条約以降長期にわたり、日米安全保障条約が存在します。日本がもし万が一他国から攻撃された場合、この条約に基づいて、アメリカ合衆国は、米国民の血税を使って日本を防衛する義務を負います。この日米安全保障条約は、両国の議会・国会で承認を得た公式条約であり、日米両国はともに、それぞれの国の法律で、この条約の順守を義務付けています。
では、米国とイスラエルの関係はどうでしょうか。米国がイスラエルに巨額の軍事支援を行い、支援し続けるのは、米国とイスラエルの間に日米同盟のような強固な安全保障条約があるからでしょうか。もしかすると、そう思っている日本人は多いかも知れません。しかしこれは誤りです。米国とイスラエルの間に双方の議会で承認された安全保障条約はありません。(但し非NATOの同盟国としては公式に指定しています)
参照:米国政府サイト
https://www.state.gov/u-s-security-cooperation-with-israel/
https://www.state.gov/major-non-nato-ally-status/
その代わり、両国の間では、「戦略的協力協定(Strategic Cooperation Agreement)」が覚書(MOU)という形の行政文書で締結されています。最初に締結されたのは1981年11月30日です。これは、当時のアリエル・シャロン国防相とアメリカのキャスパー・ワインバーガー国防長官の間で締結されました。その主な目的は中東における当時のソビエトの脅威や「ソビエト管理下の軍隊」を抑止することでした。
この行政文書は、日米安全保障条約とは異なり、米国がイスラエルの防衛義務を負うものではありません。米国民の血税を使って巨額の軍事支援を行うための法的根拠としても、甚だ弱いものといえます。もちろん米国とイスラエルが安全保障条約を締結すれば、中東の紛争がすぐさま世界大戦に拡大してしまうでしょう。ウクライナがNATOに加盟できず、米国と安全保障条約を結べない理由と同じで、米国がイスラエルと相互防衛義務を負う安全保障条約を結ぶことはできないのです。
しかし、この最初のMOU締結から現在に至るまで、米国議会は毎年の防衛関連支出において、このMOU等を根拠とした巨額の軍事支援を承認しています。そのことに対して、米国民は抗議するどころか、数十年以上にわたり、年間30億ドル超ともいわれる軍事援助を認めています。共和党時代も、民主党時代も、変わらずにです。(なお、安全保障条約に基づく日本防衛のための米国支出は年間約50億ドル、日本の思いやり予算は年間およそ20億ドルです)。ウクライナ戦争から開始2年もたたないなかで、米国では早くもウクライナ支援からの撤退の声が上がっていることと比較するとあまりにも対照的です。なぜでしょうか。
■両者を結ぶのは「法の支配」ではなく「神の支配」
それは、ユダヤ教徒と米国のキリスト教徒の多数派(キリスト教福音派)が、宗教的に非常に深く結びついているからです。およそ2000年前。キリスト教はユダヤ教の一分派(ユダヤ教イエス派)にすぎませんでした。ところがキリスト教は、マーケティングの天才パウロの主導により、ヨーロッパ大陸での勢力拡大に成功してローマの国教になります。すると今度は、離散してヨーロッパ各地に点在していたユダヤ教徒を激しく迫害し、多くの「ユダヤ陰謀論」を流布ました。主従逆転の復讐劇です。そしてキリスト教が根付いたその後の欧州では、「絶対君主」と「教会」が、神の権威を巧みに利用しながら、入れ替わり立ち代わり、人々を統治し続けました。
ところが、1500年代に入って活版印刷が普及し、聖書が民衆に直接普及し始めると、「自分たちは「王」や「教会」に騙されていた」と考え、抵抗する人々(プロテスタント)の運動が勃興します。ニューテクノロジー(活版印刷)が、新興宗教を生んだのです。このプロテスタントの中で特に「聖書回帰主義」(聖書に書かれていること=福音が全てであり、その解釈は個人にゆだねられる)の傾向が強い人々が、米国における福音派の源流といってよいでしょう。
彼らは、聖書にはイスラエルは神がユダヤ教徒に与えた土地だと書かれているのだから、イスラエルはユダヤ人のものだ、と考えるようになります。キリスト教福音派の一部は、さらに解釈を進めて、ナザレのイエスが救世主(キリスト)としてこの世に再臨する場所はイスラエルであり、その時ユダヤ人は重要な役割を担うと考えます。だから、キリストが再臨するためには、イスラエルがユダヤ人の国家として再興されていなくてはならない。そして、イエスの再臨を自分の目で見たとき、これまでナザレのイエスがキリスト(救世主)と認めてこなかったユダヤ教徒たちも、イエスをキリスト(救世主)として認め、自発的にキリスト教に改宗すると考えています。
これが、米国が親イスラエルである最も根本的な動機です。「安全保障条約」のような、「たかが人間」同士で決める契約(法)よりも、神との契約(法)のほうがはるかに重要と考えているのです。この考え方に真っ向から意を唱えて選挙に勝ち、米国の大統領になれた人物は、これまでの歴史の中でただ一人としていないでしょう。そしてこれから100年たっても現れないはずです。イスラエルがユダヤ教国家であり、アラブ諸国がイスラム教国家であることと同様に、米国はキリスト教国家なのです。
確かに米国には、いわゆるユダヤロビーといわれるユダヤ教徒の政治団体があり、資金面において大統領選挙に強い影響力を持ちます。しかし、ユダヤ教を信じる人々は、一般に非常に独立心が強く、日本の宗教団体のように、「一糸まとわぬ結束力」で集団的投票行動をすると考えるのは誤りです。選挙への影響力という意味で重要なのは、やはり福音派と捉えるべきでしょう。
■どうして米国民は、合衆国のことを「約束の地」というのか。
米国で宗教的な信仰を重視する人々は、アメリカ合衆国のことを「Promised Land(約束の地)」と呼びます。オバマ大統領の自伝のタイトルも「約束の地」です。なぜなら、ユダヤ教徒にとってイスラエルが「約束の地」であるように、神はプロテスタントに対してアメリカ合衆国という「約束の地」を与えたと信じるからです。その強烈な信仰心こそが、カトリックやイギリス国教会からの迫害から逃れ、命がけの航海を経てアメリカ大陸に入植した米国民の「核心」といえるでしょう。米国の建国期に、トーマスジェファーソンが書いたとも、ベンジャミンフランクリンが書いたともいわれる格言があります。(正確な発案者は不明)それは以下のようなものです。
Rebellion to Tyrants is Obedience to God.
暴君への反逆は神への服従である。
欧州統治国の圧政に反抗して独立した米国精神の原点は、神への服従なのです。
■イスラエル問題で米国が「引く」ことは絶対にない。それがこの問題の本当の怖さ。
これまで書いてきたことは、あくまで弊社の宗教・歴史認識であり、解釈であることは言うまでもありません。それを前提としたうえで、もしこのような見方が正しい場合、今後の中東情勢にはどのような示唆があるでしょうか。
それは、端的に言ってしまえば、イスラエル問題で米国が引くことは「絶対にない」ということです。イスラエルに対する米国の支援が細れば、周辺をほぼ全て敵対的な勢力に囲まれるイスラエルは、すぐさま存亡の危機に立たされるでしょう。例えばイランは、国是として「イスラエルを地図から消し去る」と宣言しています。このような構図を打破するための知恵として、サウジアラビアとイスラエルの国交回復、そして米国とサウジの安全保障条約締結(いわゆるアブラハム合意の枠組み)が検討されていたことはいうまでもありません。しかし、今回のハマスのテロ行為によりこの取り組みも完全に暗礁に乗り上げました。
■米国が3正面戦略を取ることはない。その影響を受けるのは日本。
もはやだれもが予感するように、弊社もまた、2024年~2025年にかけて、かつてないほど世界の地政学上のリスクが増大すると懸念しています。2024年初頭には台湾総統選挙があり、結果次第では中国を大いに勢いづけるでしょう。そして、2024年末には米国中間選挙があります。もし、共和党のトランプ氏が勝利すれば、恐らく台湾、ウクライナに米国のリソースを大きく割き続けることはしないでしょう。弊社では、仮にバイデン氏が再選したとしても、程度の差はあれ同じベクトルに収束していく可能性が高いと考えています。それが、米国民が求めることだからです。
ウクライナ戦争はウクライナとロシアでなんらか決着してくれ、台湾問題で困るなら日本は自分でそれなりに何とかしろ、となる可能性があります。しかし米国は、イスラエルだけは、絶対に譲らない。それだけは間違いありません。それは、米国の成り立ちそのものと、国是に関わるからです。したがって、米国・イスラエルと対立する勢力が、この問題であくまで徹底的に対立し、紛争を世界に拡大させる選択をするならば、米国は世界大戦も辞さないでしょう。このアメリカの根源となる力の核心を、世界は決して見誤ってはならない。一方で米国は、イスラエルで譲らない代わりに、ウクライナと台湾では譲る可能性がある。米国がそのような「ディール」を受け入れる可能性は十分にあります。そしてそれにより深刻な影響を受ける国はどこか。それは日本です。
■日米安全保障条約があれば安泰と考えるのは「脳みそお花畑」症候群
そして、日本はどうなるでしょうか。世界を「法による支配」の枠組みの中で論理的に整理・理解し、日米安全保障条約があれば日本は安心、という論説をいまだに見かけます。しかし、キリスト教国家ではない日本と、米国の間の安全保障条約など、米国大統領を決める権利がある米国民からすれば「たかが人間」との利害関係調整契約にすぎません。短期は別としても、そこ(アジア)に、米国民の血税と兵士の命を大量に注ぎ続けることを米国民が長期に認め続けることは残念ながら恐らくもうないでしょう。
にもかかわらず、念仏のように「法による支配」を唱え、日米安全保障条約があるから大丈夫、と安易に構える日本人がまだ多くいるとしたら、それは「脳みそお花畑」症候群と言わざるを得ません。キリスト教国ではない日本が、西洋キリスト教社会がルネサンス期に再発明した民主主義という統治機構を共有し、共通の価値観として維持・発展させ続けるためには、非常に強い覚悟と努力が必要です。今の日本の政治にそれが果たしてできるのか、とても心もとないと言わざるを得ません。
冒頭写真:イスラエルの都市カイザリヤの海岸に残るローマ水道の遺跡。ローマに滅ぼされた古代イスラエルのユダヤ教徒は世界に離散し、
原始キリスト教徒は大陸伝道へと旅立った。(2018年筆者撮影)
- By 西澤龍
- 10月 17, 2023
- 中東の地政学から世界の明日を読む