
2024年11月に行われた米国大統領選挙では、ドナルド・トランプ大統領が圧倒的な勝利を収めました。「もしトラ後の世界を読む」と題したこのシリーズは、これからは「かくトラ」後の世界を読んでいくことになります。今回は、ドナルド・トランプ大統領の政策や主張を理解するうえで避けて通ることができない、「ディープステート」について考察します。
■「ディープステート」は妄想ではない。
「ディープステートの打倒」。これは、トランプ氏が頻繁に発する言葉であり、民主党支持者や恐らくは多くの外国人(日本人も含む)の「良識派」の眉を潜ませ、彼を理解しようとする姿勢をフリーズさせる、パワーワードです。
「ディープステート(影の政府)」が世界を影で操っている。そいつらを叩き潰して米国の未来を取り戻す」。こうした主張は多くの人にとって、ドナルド・トランプ氏の「やばいやつぶり」を象徴する言葉としてすっかり人々の頭の中に刷り込まれています。これは本当に、彼の誇大妄想からくる「やばい話」でしょうか。そしてそれを信じ込んで彼に投票してしまった多くの米国有権者は皆、「気の毒な情弱系」だったのでしょうか。
まずいえるのは、「ディープステート」が何を指しているのか分からない(適当なことを言っている)、という主張は、少なくとも間違いだということです。トランプ氏の発言記録を少しチェックすれば、トランプ氏が繰り返し具体的な個人名をディープ・ステートとして挙げていることがすぐにわかります。
アジェンダレベルの重要発言で最も頻繁に登場する人物は、「ジョージソロス」と「ビクトリア・ヌーランド」です。ほかにも複数のディープステート構成人物?が具体的に名指しされていますが、このコラムでは特に象徴的なこの2人を取り上げ、トランプ氏にとっての「ディープステート」とは何者なのかを考察します。
■ジョージ・ソロスとはなにか?
言わずと知れた伝説的投機家です。ハンガリーのブダペストに生まれ、ユダヤ系の家庭で育ちました。彼は第二次世界大戦中にナチスの迫害を逃れ、戦後、1947年にイギリスへ移住。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで哲学を学び、カールポパーの薫陶を受けます。これが、その後のオープンソサイアティ運動の展開の原点となります。1992年の「ブラック・ウェンズデー」でのイギリス・ポンドのショート、アジア通貨危機、そして2013年のアベノミクスの機会をとらえた円のショートで巨額の利益を得たことで有名です。(ちなみにこの時の投資チームトップは、第2次トランプ政権で財務長官に就任するスコットベッセントです)。
ソロスは、ウクライナの民主化に対して長年にわたり積極的に関与してきました。彼は、自ら設立した「オープン・ソサエティ財団」を通じて、ウクライナの市民社会や民主的制度の強化を支援しています。特に、2004年のオレンジ革命運動を財政的に支援し、ウクライナの民主化プロセスを後押ししました。当然彼は、ロシア側、プーチン側からすれば「不倶戴天の敵」です。
■米国地方検事長の選挙に積極的に資金提供を続けたジョージ・ソロス
では、ドナルド・トランプ氏はなぜジョージソロスを繰り返し批判したのでしょうか。彼がソロスを批判する理由を解釈して簡潔に整理するならそれは、「金の力で米国の法執行体制に介入したため」です。
米国は日本と違い、地方検事長(日本の検察の検事正に近い)が、国民による直接選挙で選出されます。刑事裁判をつかさどる地方検事長は、州や市の司法執行において強大な力を持ちます。この地方検事長選挙において、ジョージソロスは、自らの理念に近い候補者を積極的に支援していたことで知られています。具体的には以下のような例があります。アルビン・ブラッグ氏(ニューヨーク・マンハッタン地区検事長)、ジョージ・ガスコン氏(ロサンゼルス郡地方検事)、キム・フォックス氏(イリノイ州クック郡州検察官)。いずれの候補にも日本円で1億円を超える資金援助を行い、2020年の選挙では複数の候補が当選しました。(しかし、直近の選挙では多くのソロス支援候補者が落選しています)。(出所:NGO: Capital Reserch https://capitalresearch.org/)
つまり、ジョージ・ソロスは、自由で開かれた、民主的でオープンな世界を標ぼうしつつ、その実現手段として自らの資金力を最大限行使し、米国における法の執行体制に明確な影響力を行使してきました。それは結果的に不法移民の滞在を容易にし、軽犯罪者の釈放を容易にし、薬物の蔓延や白人労働者の失業につながった、これがトランプ氏がソロス氏、あるいは「ソロス系判事」を繰り返し批判してきた主張の中身です。
ソロスは、当然ながらこうした地方検事長選挙のみならず、様々な米国の選挙に資金的に深く関与してきました。特にクリントン政権以降の民主党政権にはスポンサーとして強い影響力を持ってきました。これは、陰謀論ではなく、米国政治の公然の事実です。日本でも自民党のスポンサーに経済団体や宗教団体があり、公明党のスポンサーに創価学会がおり、国民民主党のスポンサーに連合がいるのと同じくらい、「知れたる事実」です。民主党を破って大統領になることを目指したトランプ氏がソロス氏(あるいはソロス系判事)を批判してきたのは、ある意味当たり前の構図といってもいいでしょう。
■ビクトリア・ヌーランドとはなにか?
次に、トランプ氏が具体的にディープステートとして批判し続けてきたもう一人の人物「ビクトリア・ヌーランド」について考察します。ヴィクトリア・ジェーン・ヌーランド(Victoria Jane Nuland、1961年7月1日生まれ)は、アメリカの外交官であり、2021年から2024年まで国務次官(政治担当)を務めました。彼女はニューヨーク州ニューヨーク市で生まれ、1983年にブラウン大学でロシア文学、政治学、歴史学の学士号を取得しました。
ヌーランド氏は、第18代アメリカ合衆国北大西洋条約機構常任代表(NATO大使)として、アフガニスタンへのNATOの介入に対する欧州の支持を集めることに注力しました。特に、2014年のウクライナ危機においては、キーウを訪問し、ウクライナ情勢に深く関与しました。彼女は「尊厳の革命」の主導的な米国側の指南役であり、ウクライナへの融資保証や非致死的支援の提供に深く関与しました。2014年2月には、ウクライナの次期政府に関する電話会談が、恐らくはロシアの盗聴によって流出し、「EUなんてクソくらえだ」との発言が物議を醸しました。ウクライナの兵士を慰問し、クッキーを手渡す映像が出回ったことから「クッキーおばさん」としても話題になりましした。
ヌーランドは、クリントン政権、オバマ政権、バイデン政権の3つの民主党政権におけるNATO戦略に深く関与した重要な外交官(官僚)です。クリントン政権後期以降の米国の東欧戦略に大きな影響力を持った人物だったといって良いでしょう。(昨年退任済み)。トランプ氏が彼女を批判し続けた背景には、このような「選挙で選ばれていない官僚」が、米国内の諸問題(移民、ドラッグ、産業空洞化等)を差し置いて、巨額の国家予算と軍事力を東欧・NATO支援につぎ込み続けたことにあると思われます。
■ジョージ・ソロスとビクトリア・ヌーランドのもう一つの共通点
そして、ジョージソロスとヌーランドの間にはもう一つの共通点があります。それはともに東欧ロシアから米国に亡命・移住したユダヤ系アメリカ人の子孫であるということです。イスラエルの帰還法の定義では、ユダヤ教徒であること(改宗を認められた場合を含む)またはユダヤ人の母親から生まれたことのいずれかに該当する場合、ユダヤ人として認定されます。
ジョージ・ソロスは、両親がともにユダヤ人であり、帰還法の定義においても明確なユダヤ人です。一方でビクトリア・ヌーランドは、父方の祖父がユダヤ人である一方、母方はそうではなく、帰還法の定義におけるユダヤ人ではありません。いわゆるユダヤ系米国人ということになります。しかし、両者の祖先はいずれも、苛烈な反ユダヤ主義(ポグロムやホロコースト)を逃れてきた人々の子孫である点で共通しています。このような東欧ユダヤ系アメリカ人の子孫は、言うまでもなく米国に多く存在しており、その能力や知的水準の高さから米国の政財界で強い影響力を持ちます。
■左派、右派両翼に分かれるユダヤ系米国人
ジョージソロスやヌーランドのようなユダヤ系米国人の一部は、イスラエルの国外(米国や欧州)で活躍し、民主主義的、あるいはより先鋭的な場合は社会主義的なイデオロギーを持つケースががあります。(※但し、ここでいう社会主義は、スターリニズム的な一国社会主義ではなく、トロツキズム的なグローバル社会主義です)。
トランプ氏は、米国のリベラル派と共鳴し、自らの財力や立場(官僚)を自らの理想の実現のために行使するソロスやヌーランドを厳しく批判しました。彼らの理想が、「アメリカファースト」ではなかったからです。少なくともトランプ氏の目にはそう映っています。ジョージソロスとヌーランドの間に、直接的な関係は恐らくありませんが、彼らは、ロシアのような専制を憎むあまり、私財を投じて影響力を行使したり、官僚としての自らの権限を行使(税金を使うことも含め)することを厭いませんでした。
このような、米国のリベラル派と連帯するユダヤ系米国人を、敢えて雑に「左派のユダヤ系米国人」として括るとしたら、キリスト教福音派と親和的で、シオニズムにも強く共鳴する人々は「右派のユダヤ系米国人」といえます。彼らは、イスラエルのネタニヤフと強く共鳴し、米国の行動をシオニズムの強化と確立に動機づけようとする人々です。代表的な人物としては、ジャレッドクシュナー氏(イヴァンカトランプ氏の配偶者)やベンピシャーロなどが挙げられます。(但し、クシュナー氏は中道右派という捉え方が妥当かも知れません)。
■福音派や右派ユダヤ系米国人と共闘し、「ディープ・ステート」を追放する。
ドナルド・トランプ氏は、そもそも若かりし頃は民主党支持者だったと伝わります。しかし、彼の目には、ルービノミクスに象徴される民主党の政策は、米国を繁栄させていくのはなく、衰退させていくように映りました。トランプ氏は、若かりし頃にニューヨークの不動産を日系企業に売却するビジネスにも深く関わったと言っています。自分は儲かる反面、米国はこれでいいのか、という疑問を持ったというインタビューが残っています。そして彼は共和党に転じ、「ディープステート」と戦うことを決意しました。
大統領選挙に立候補したトランプ氏は、右派ユダヤ系米国人と連携を深めていきます。キリスト教福音派は、ユダヤ教右派とも親和性が高いため、親シオニズムを標ぼうすることで効率的な票の獲得が可能と判断したのでしょう。実際にトランプ氏は、2016年の選挙でクリントン氏に勝利しました。
■第2次ディープステート討伐は加速するのか。
では、トリプルレッドという圧勝で大統領に返り咲いたトランプ氏は、自らの支持基盤であるキリスト教福音派や右派ユダヤ系米国人と連携し、心置きなく第2次ディープステート討伐にまい進するのでしょうか。ことは必ずしもそう簡単ではないように思われます。
■イスラエル戦争の帰趨 ウクライナ戦争より先に終わる可能性
右派ユダヤ系米国人や福音派と、トランプ氏の今後の関係性を考察する上で、最も重要なのは、やはりトランプ氏とネタニヤフ氏の関係性です。第1次政権時代のトランプ氏は、ネタニヤフ氏の要請通り、ゴラン高原の領有権がイスラエルにあると主張し、米国大使館をエルサレムに移転しました。そしてイランの英雄ソレイマニ司令官を爆殺しました。これは、右派ユダヤ系米国人と福音派への強いアピールであり、それが再選に繋がると読んでの行動だったでしょう。しかし、結果は異なりました。トランプ氏は、かなりの政治的リスクを冒して行動したにも関わらず、対価(再選)を得られませんでいた。それどころか、イスラム社会への無用な刺激は、結局のところテロの遠因にさえなり、多額の税金を追加投下せざるを得なくなりました。ここだけ切り取れば、ビジネスマンであるトランプ氏にとってネタニヤフは、「コスパ最悪」のビジネスパートナーだった、ということになります。
最近トランプ氏は、ネタニヤフ氏を強く批判したジェフリーサックス氏(経済学者)の動画をSNSでシェアし、暗にネタニヤフ氏との距離感を匂わせています。彼のいうディープステートが、米国民の税金を米国民のため以外(ウクライナ等)に湯水のように使うのと同様、右派ユダヤ系米国人も、米国民の税金を湯水のようにイスラエルに注がせることに全力を傾け続けています。
この構図をトランプ氏がそのまま是認し続ける保証はないでしょう。そして、トランプ氏がこれにどう対処するかこそ、イスラエルパレスチナ戦争の終結を左右するポイントとなるはずです。個人的推察では、今トランプ氏はネタニヤフ氏には何の借りもない状態です。任期は最長であと4年であり、次の再選に向けて右派ユダヤ系米国人に過度に忖度する動機はもうありません。トランプ氏がネタニヤフ氏にとっての「使えるバカ」の役回りを演じ続ける必要はもうないでしょう。
既に一時的な停戦が合意されていますが、この交渉は進展する可能性が高いと言えます。トランプ氏は、条件を付けてネタニヤフを退任させ、ガンツ氏、あるいはまた別の政治家を中心とした政権がガザの再建を主導する可能性すらあります。結局それが、米国人の税金の大幅な節約になるからです。ネタニヤフは自分が過去の汚職や、今回の攻撃を許した責任について免責されるなら、退任を受け入れるでしょう。個人的には、ネタニヤフ氏は最終的に米国に亡命する可能性もあると考えます。
■ジョージ・ソロスに象徴されるウォール街との対峙
また、トランプ氏はジョージソロスに象徴されるウォール街の親民主党リベラル派勢力とも対峙する必要があります。彼らは、市場原理を信奉し、そこにゆがみがあれば容赦なく突く人々です。現在、ウォール街の人々は、トランプ政権の全ての政策が再び高いインフレを呼ぶと見込み、そこから生まれる次のゆがみがどこに生じるか、目を凝らして見張っています。市場が恐ろしいのは、トリプルレッドを達成したトランプ氏のような強大な権力をもってしても、暴走したら止められない点です。
この点で注目すべきは、トランプ氏が次期財務長官に指名したスコットベッセント氏です。氏はもともとジョージソロス氏の忠実な右腕で、彼の重要な成功ディールを支え続けてきた人物です。現在は独立して自身のファンド会社を運営していますが、1号ファンドにはジョージソロス氏が20億ドル出資しています。その後、その多くは返還・償還されたと報道されていますが、ベッセント氏が、引き続きジョージソロスに一定程度「ガバナンス」されていることを完全否定できる材料は、今のところ見当たりません。
ベッセント氏を財務長官に指名した背景には、「ディープステート」と引き続き対峙しつつも、ウォール街を完全な敵に回すつもりはないというトランプ氏の意図が透けて見えます。これは、ポジティブに見るならばよいバランス感覚ですが、ネガティブに見るならば結局市場の圧力に負けてなにもやらない・なにもできない可能性も想起させます。
トランプ氏は「再選ゴール」を達成して燃え尽き、あとはイーロンマスクと自らのチームにぶん投げて悠々自適に過ごせばよいと考えているのか。それもあり得ます。しかし恐らくは、米国を再び偉大な国にすべく情熱を燃やし尽くすまで走り続ける。現時点ではその可能性の方が高いでしょう。1月20日に全てが始まります。
- By 西澤龍
- 1月 16, 2025
- 「もしとら後」の世界を読む