マカオ入港
「あの集団はなんだろう。皆、ずいぶんやつれているな。あれは、日本人なんじゃないか?」。
海南島を諦め、マカオに行くことを決意してから二日。強い風で西へと流れた船は、想定より半日以上早くマカオに着いていた。停泊したアウロラ号の甲板から、ラケルは港の賑わいを慎重に観察する。
その視線の先にあるやつれた人々。縄で繋がれてこそいないが、あれは明らかに売られる者たちの集団だ。世界中の港で奴隷売買を見てきたラケルにはすぐに分かる。マカオの港でポルトガル商人らしき男に急き立てられながら、のろのろと重い足を動かすあの人々は、現地の者には見えない。マラッカで見てきたシナ人とも、服装が少し違うようだ。ラケルに問われたディエゴは、苦虫をかみつぶすような顔で、低い声を返す。
「どうだろうな。このあたりの海域には大小島々あり、民族も様々ありと聞く。あれが日本人かどうかは分からん。だが、もしそうなら、フィランドに着くより先に日本人を目にした事になるな」。
表情一つ変えずにラケルが返す。
「そういうことになるな。しかしあれだけの奴隷が売られるってことは、彼の地もまた戦乱のど真ん中ということだ」。
ラケルの言葉には、どこか諦めのようなものが漂っている。
「俺たちだって明日は我が身だ。同情している暇はねえなあ」。
ディエゴはそう返しながら、船に近づいてくる一艘の手漕ぎボートに向かって手を振る。街中を探らせていた水夫見習いが戻ってきたようだ。
「姉さん。いわれた通り、手紙をペレイラって人の屋敷にいた人に渡してきたよ。ペレイラさんは、多分この辺じゃ相当な顔だね。周りの屋敷を三つ足したくらいのでっかいところに住んでる。まもなく迎えの手勢を寄こしてくれるって」。
ロドリゴは、声を弾ませてラケルにそういった。まだ少年だ。見たことのない異国に来た興奮が不安をはるかに上回り、目には好奇心の輝きがあふれ出ている。私もこの位の年頃のときはそうだった。ラケルはロドリゴを見てそんなことを考える。でも、歳を取って用心深くなることは悪いことではない。それで生き延びてきたのだ。マカオでも、やることは同じだ。注意深く、臆病に。ラケルはそう、自分に言い聞かせる。
「ロドリゴ。では、通行許可証はその迎えの手勢に見せればいいんだね?」
「うん。そうだって。でも、それよりも迎えの手勢が運ぶ商品をちゃんと用意しとけって言っていたよ。手ぶらで来て、手ぶらで戻るんじゃ、それこそ怪しまれるからね」。
「その通りだ。ディエゴ。積み荷を分け直して運べるようにしてくれ。香辛料は少しずつでいいから種類を多く。胡椒とカルダモンは多めに。それから生糸と緑のガラス玉は半分残して、あとはペレイラに贈ろう」。
ディエゴは軽くうなずくと、ロドリゴと数人を従えて船倉に潜っていった。
ペレイラ
若者は、何かにつけて誇張したがるものだ。自分への期待、未来への期待、なにかやれるという根拠のない自信。そういったものが、若者に世界を少し大きく見せるのかも知れない。しかし、ロドリゴが言ったことは大げさではなかった。ペレイラの屋敷は、ロドリゴの言葉以上に壮大なものだった。周囲を圧倒する威容に、ラケルは逆に緊張を覚える。
「これだけの屋敷だ。きっと相当な数の人間が出入りしているよ。その中にどんな奴がいるか、ペレイラ殿だって全部は把握し切れていないだろう。ディエゴ。ロドリゴ。ぼろを出すなよ」。
ラケルは、首から下げた十字架を握りしめながら二人に小さく声をかけ、門をくぐる。その先に、一人の男が、数十人の手勢を従えて立っている。歳は四十歳手前にも見えるが、五十歳過ぎと言われればそんな気もする。しかし、浅黒く焼けた肌と、緩くまとわれた衣服でも隠すことができない隆々たるその肉体は、男の精神が、時の流れに支配されていないことを雄弁に物語っている。
「仲間よ。よく来られた。私がマルコス・ペレイラである。長い旅であろう。マカオで不自由はさせない。次の出発までゆるりと休まれよ」。
ペレイラの声は、その重厚な肉体に似合わず高く、それでいて少ししゃがれている。しかし、その声には、その主が強い魂を持ったものであることを全てのものに理解させる力がある。そして、ラケルは、その歓待の言葉の裏に、少しの畏れと疑いが紛れていることを敏感に嗅ぎ取る。
「ラケルと申します。ドン・マルコス・ペレイラ。強い西風に阻まれ、海南島に寄港すること叶わず、ペレイラ殿のご厚意に甘える始末となりました。急なことにも関わらず、ドン・ペレイラ様自らご歓待頂きますこと、深くお礼申し上げる。僅かではありますが、ここに感謝のしるしとして、少しの香辛料、生糸など、お持ち致しました。これらは全てペレイラ様に捧げます」。
「ラケル殿。今、香辛料や生糸は、いくらあっても足りない。そなたの好意、ありがたく受け取ろう。主の祝福が貴殿一行にあらん事を祈る。ところでラケル殿。そなたは医者と聞いた。これらの香辛料の中には、我が良く知らぬものもいくつかありそうだ。どのような効能がありそうかな。教えてくれぬか?」。
ラケルはそのペレイラの言葉に、機敏に反応する。
「ペレイラ様。はい。わたしは医者の端くれでございます。もっとも今は、ここにいるディエゴに海賊呼ばわりされておりますが」。
一同の間に和やかな笑いが広がる。ディエゴはバツが悪そうに頭を掻く。張りつめた空気が少し緩む。その間を逃さず、ラケルはさりげなくペレイラに近づき、香辛料が入った袋の前に誘う。そして、袋を覗き込んだペレイラの顔に自分の顔を近づけ、小さな声で素早く囁く。使うのはポルトガル語ではなく、ラディーノ語である。
「Anque estemos en tierras lejanas, la alma todavía se akodra.」。 (遠い土地にあっても、魂は覚えている)。
それを聞いたペレイラの眼に閃光が走ったのを、ラケルは見逃さない。そして、その一瞬の後、ペレイラは再び何事もなかったかのように香辛料の袋を覗き込んで呟く。
「良い色だ。カルダモンかな。そなたと同様、この香料もはるか遠い土地から来たのであろう」。
ラケルは、ペレイラに符丁が伝わった事を確信しつつ、表情を変えずに淡々と返す。
「はい。カルダモンです。インドのゴアから旅を共にして参りました。胃のもたれに効きます。また、ご存じの通り香りもよく、口直しとしても重宝します。サフラン・クローブなどと混合しますと、よりよく体を温め、血行を促進し、発汗を促します。体熱を上げると、生きる力が引き出されます。重要な香辛料です」。
ラケルの言葉に耳を傾けるペレイラの表情に、もはや当初の疑いと畏れはない。ラケルはそれを敏感に感じ取り、少し安堵する。
「ラケル殿。素晴らしい贈り物をありがとう。改めて深く感謝致す。今夜はお疲れだろう。ゆっくり休まれよ。明日の夜、晩餐にご招待したい」。
ペレイラはそういうと、取り巻きを引き連れて屋敷に消えた。