第一章-離散
グラナダ無血開城
「この美しき宮殿。グラナダの民。この豊穣なる土地から得られるすべての恵み。これらは全てカトリック両王のものとなる。その証として、この宮殿の鍵を渡そう」。
千四百九十二年一月初旬。荘厳なるアルファンブラ宮殿の正面で、モーロの王、ボアブディルがそう宣言する。グラナダ無血開城の瞬間である。ボアブディルは城の鍵をイザベルに手渡し、その手に軽く接吻をする。イザベルが小さく頷き、そして応える。その白い肌はほおずきのように紅く染まり、唇はわずかに震えている。
「モーロの王よ。そなたの、寛大にして勇気ある決断に誠の敬意を表する。我々はこれよりこの地を治める。そして、そなたと結んだ契約を護ることを、その誇り高き精神に誓おう。誓いの立会人は、ここにいる全ての者たちである」。
万雷の拍手と喝采が起きる。その背後の隊列の中には、三人の臣下の姿もある。一人はルイス・デ・サンタンヘル。もう一人はイザベルの贖罪祭司、エルナンド・デ・タラベーラ。そして、異端審問官長、トマス・デ・トルケマダである。しばし喝采を浴びたのち、イザベルが続ける。
「モーロの王に誓う。我々はこの地のムーア人が己の信仰を守り続けることを認める。彼らは安らかなるその家を追われることはない。財産を奪われることもない。ムーア人は、ムーア人の法を守ればよい。そして、ボアブディル王よ。そなたの決断により、この壮麗なる奇跡の宮殿が破壊を免れ、千年の先までそなたの勇断を人々に伝えることを誓おう」。
人々の喝采が地鳴りのように響き、宮殿を揺らす。ボアブディルは小さくうなずくと、静かに馬を返し、わずかばかりの臣下を引き連れて去っていく。再び鳴り響く万雷の声。今この時、八百余年にわたるレコンキスタは完結したのだ。宮殿のテラスに両王の旗が翻る。旗に描かれたサン・フアンの鷲が、紺碧の空を舞う。
そしてこの時。空に乱舞するその鷲を、城下にひしめく群衆の中から見上げる一人の男がいた。その目は大きく見開かれ、今にも頭骨から飛び出さんばかりである。こぶしは固く握られ、爪は手のひらに楔のように食い込む。その様子を見た通りがかりの顔見知りが声を掛ける。
「おお!これは、ドン・クリストバール・コロン。意気軒昂なご様子で!素晴らしき航海計画のご準備はその後いかがかな? この偉大なる勝利で、コロン閣下にもなにやら良い風が吹くことを祈っておりますぜ!」。
慇懃な言葉とは裏腹に、その顔に浮かぶのはあからさまな嘲笑と侮蔑である。しかし、コロンと呼ばれたその男は、意に介す様子もない。次に何をすべきか、思考をめぐらすことに全霊を注いでいる。モーロとの最終戦は、最高の形で終結した。両王は大いに戦費を節約しただろう。もうこれから、モーロ人との争いに頭と財布を痛める必要もないはずだ。コロンはすぐに、一人の男に逢いに行こうと決めた。ルイス・デ・サンタンヘル。あの男にもう一度会い、航海の実現を掛け合うのだ。両王を説得できるのはあの男しかいない。